器用貧乏からの脱出

器用貧乏という言葉が昔からあるが、最近ふと目にした事をきっかけにすごく気になっている。

何でもある程度までそつなくこなせてしまう器用さがあるがために、一つの事に能力を集中できなかったり、人から便利使いされてしまうことで、自分の身に何も残らない傾向の事を言う。

希望貧乏とネット社会

今の時代はネットで知識はなんでも手に入る時代になった。
場合によっては、技術もアプリ化されていたり、ノウハウが流通していたり、簡単に人に発注できたりする。

そうなってくると、器用な人はこれらのネット社会の恩恵を十二分に享受する能力には長けているが、いつまでたっても発信者にはなれない。
発信者は相当な知識か技術か経験などを提供することで価値を提供しているが、器用貧乏と言われる人は、器用ではあるが、何かについて専門家になれない傾向がある人の事だからだ。

器用貧乏は人は、ネットユーザーとしては有能だが、発信者としては存在価値がないのだ。

器用な部分はそれはそれで長所なので置いておくとして、器用貧乏は傾向の人が何かに突出した専門家になるためにはどうすればよいだろうか。

器用貧乏対策

1.ワクワク感がなくなる事への対応

取り組んでいる事柄がある程度マスターできて満足できてしまい、ワクワク感が消滅して退屈になったとしても、ルーチンワーク化した事柄をその後も継続して、さらなる知見を深められるかどうか。

2.勝ち上がれるのかの不安への対応

自分がある程度マスターできたと感じた時、それと同時に同じような事に取り組んでいるもっとハイレベルなライバルはたくさん存在する事が見えてくるが、相当の時間と労力をかけなければとても勝てそうにない状況において次へ努力に手を付けられるか。

3.自分の存在価値の無さに耐えられるか

自分がやらなくても世の中は回っている。ずるい事をして人を押しのけてでも上へのし上がろうとしているライバルもいる。その中へ飛び込んで、結果が出ないかも知れない事に人知れず努力できるか。その間、自分の他の機会や才能から遠ざかる事になるが、その閉塞感に耐えられるか。

何に人生をかけるかを決める必要がある

これらは、何に取り組むのかを決めておく大前提が必要だ。


それを決める方法は?それは、経験により市場の反応を見て自分の才能を探り当てるしかない。

ヒントのひとつは、短所と長所は表裏一体であることを考慮すると、短所であっても長所であっても平均から大きく離れているものが能力としては突出している可能性が高いという事だ。

もうひとつのヒントは、何かに非常に感度が高く今から取り組んでいきたいと思ったとき、他の才能をあきらめる潔さが必要だ。

世間は、何か1つだけにしか得意なものがない人に専門家というポジションは与えてくれるものだ。たとえそれが優れたものでなくてもだ。

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