新型コロナウィルスの感染拡大で気づいたこと

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パンデミックが発生した時の防災訓練のたびに、そんな事起こるわけないと感じて来たので、
パンデミック本当に起きた事がまだ信じられない。

このパンデミックがいつ収束するのかを考えるには、ウィルスが人間を温床としている事を理解する必要ある。つまり、ある程度の共存関係が収束という状態なのだ。

どこかのコメンテーターが、大惨事の発生をスローモーションで見ているようだと言った言い回しがとても印象的だ。

世界中で感染拡大防止のために経済活動全面ストップして政府が生活保障をするのを見ると、
資本主義の経済活動はまるでゲーム上の事だったかのようだ。

日本における感染拡大防止のための外出自粛は、個人の命守るためではなく社会パニックを回避するための取り組みであるように感じる。

検査やワクチンの対応は責任逃れから後手後手に回るのに、外出自粛の大ナタだけは迅速だった。
政府がやることはやっているというアピールのためなのか。

新型コロナが落ち着くためには最終的には集団免疫が出来るのを待つことになるが、
なんとか感染をさけて最後まで感染しなかった人になりたいと願うばかりだ。

完全に感染のリスクからは逃れられず、もしひとたび感染したら、
一定の確率で死亡する可能性があるのはまるでロシアンルーレットのようだ。

自分もいつかは死ぬのだとか、とうとうあの人も死んでしまったとか、身近に死を感じていると、死ぬことが日常の一部のように感じるようになってきた。

戦時中もこれのもっとボルテージが高い状態だったのだろうか。

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